2017年12月11日

映画「瞽女」のプロモーション映像制作に向けてクラウドファンディングが始まりました

こんにちは。広沢です。
瀧澤正治監督による、小林ハルさんの生涯を描く映画「瞽女」のプロモーション映像
制作にあたり、クラウドファンディングの募集が始まっているそうです。
いわゆる寄付金集めです。
2月9日 まで、2ヶ月間と、短い期間での募集となるため、ぜひ、1人でも多くの方に
ご協力頂ければと思い、まずここに書かせていただきました。
詳しくは、「にいがた、いっぽ」のサイトをご覧ください。

https://n-ippo.jp/
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2017年12月06日

「里枝子の窓」から 2017年11月

こんにちは!広沢里枝子です。めっきり寒くなってきましたね。いかがお過ごしでし
ょうか?
さて、今回は、歩車分離式の信号について、初めに考えてみたいと思います。歩車分
離式の信号というのは、車両の通過と、歩行者の横断が交わらないように、青信号の
タイミングを分けている信号です。4方向の車が止まっている間に、人が渡る信号で
すね。
では、質問ですが、この歩車分離式信号は、目の見えない人にとって、安全でしょう
か?危険でしょうか?
実は、危険で不便なのです。なぜかと言いますと、まず、目の見えない私たちは、車
の走る音で、渡る方向を判断しているものですから、車が全部止まると、渡る方向が
、わからなくなってしまいます。
特に歩車分離式のスクランブル交差点では、渡る人が、いろいろな方向に動くので、
目の見えない私たちは、渡る方向を間違えやすくなります。私も、スクランブル交差
点では、人の動きに影響を受けて、方向を間違えて渡ってしまって、気付いたら、ぜ
んぜんちがう所に来ていたということが、何度かありました。
特に困るのは、歩行者が道路に設置されているボタンを押さないと青にならない「押
しボタン方式」の歩車分離信号です。
こんなこともありました。2年前に、松本市に住む全盲のご夫妻の家の東側の信号機
が、歩車分離式信号機に変わって、歩行者は、コーナーの四つの押しボタンを押さな
ければ交差点を渡れなくなりました。しかも、その四つのボタンがそれぞれまちまち
の位置にあるのだそうです。それで、全盲のご夫妻は、まず、ボタンの位地が、みつ
けられなくなりました。仮りにボタンを探し当てて押せたとしても、ボタンの位置が
、渡り口から離れているので、また渡り口に戻るのが難しいため、斜め横断というこ
とになりかねない状況になってしまったのです。
更に今年は、このご夫妻の家の西側の信号機も同じ信号機に変わる旨の連絡があった
のだそうです。こちらはバスの通る道で、毎日利用するので、ご夫妻は、たいへん困
りました。そこで、「長野県ハーネスの会」の会長さんと、「松本市視覚障害者福祉
協会」の会長さんに相談して、県警に出向いて文書を出していただいたり働きかけを
していただいた結果、工事はしばらく延期して押しボタンの場所を知らせる音を出す
装置か、歩行者が来たことをセンサーでキャッチできる装置が予算で確保できるまで
現状維持ということになったそうです。
以前、上田市では、カッコーとピッピの音で、東西南北がはっきりわかるように、統
一して音響信号が付けられていました。視覚障害者にとっては、そのかたちが本当は
一番わかりやすいのです。
どうしても押しボタン式の歩車分離式信号を付けなければならない場合には、ボタン
のところに、ポッポッと音の出る装置を付けたり、方向を間違えないためのガイドを
横断歩道に設置するなどの工夫が必要です。
長野県内でも、歩車分離式信号が各地で増えていますが、目の見えない私達にとって
は、こうした危険や、不便さがあることをご理解いただきたいと思って、お話しまし
た。
posted by りえこ at 19:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2017年11月22日

「里枝子の窓」から 2017年10月放送

こんにちは!広沢里枝子です。いかがお過ごしでしょうか?
今年の7月に105才で亡くなられた日野原重明先生の最期のインタビューのお声を
先日、ニュースで聞きました。ああ、日野原先生は、本当に最期の最期まで、ご自身
の生き方を貫かれたのだなあ!と、胸いっぱいの気持ちで聞かせていただきました。
日野原先生は、死が迫る中で、最期の力を振り絞って、1か月にも及ぶテレビ取材を
受けて、メッセージを遺してくださったのですね。
「今、私は、死を前にして、おろおろすることしか何もできない新たな自分に出会っ
ている。」 「キープ オン ゴーイング。前進、また前進を私たちは続けなくちゃ
ならない」
そんなふうに語りかけてくださっていましたね。
日野原先生は、たびたび信州にいらして、命や平和の大切さを傳えてくださいました
。ですから、信州には、日野原先生との思い出を持っていらっしゃる方が、きっとた
くさんいらっしゃることと想います。
私も、たった1度ですが、日野原先生が、上田に講演にいらしたときにお会いしたこ
とがあって、そのときのことをこの頃、よく思い出しています。
何年ぐらい前だったか。上田市の千曲荘病院の記念講演会に日野原先生がいらしたと
きに、私は、主催者の方々から、花束をお渡しする役を仰せつかりました。それで、
講演の始まる前にご挨拶に伺って、そのときにみんなで記念写真を撮ろうということ
になりました。
じゃあ、並びましょうというので、みんなが動き出したときに、私は、どう動いたら
いいか、とっさにわからなくて、盲導犬のネルーダと、その場につっ立っていました
。そのときに誰かが私の後ろから、背中を包むようにして両肩に静かに手を置いてく
ださったのです。私が、どなただろう?と思ったそのときに「日野原だよ。僕は、君
のすぐ後ろにいるからね」と、日野原先生の穏やかな声がしました。一瞬、涙が出そ
うなくらいうれしかったことを思い出します。
私のように目が見えないと、みんながぱっと動いたときに、状況がわからなくて、「
あっ、どうしよう・・・」と、とまどうことはしょっちゅうなんです。しょっちゅう
ですから、しかたないなって思ってしまうことが多いんですが、日野原先生は、見え
ない状態でそこにいる私のことを真っ先に気遣って、安心させてくださったのですね

先生の奥様も、同じ気持ちで私に寄り添ってくださったらしくて、後でいただいた写
真には、にこにこの笑顔のご夫妻の真ん中に、娘のように包んでいただいている私の
花束を抱いた姿が映っていたそうです。
あのときも、日野原先生は、すでに100才を超えていらしたんですよね。
講演会でも日野原先生は、通路をだだだーっと走って、教壇にぽんと飛び乗ってみせ
てくださいました。帰るときも、「僕は、駅の階段は2段飛ばしで駆け上がるから大
丈夫」とおっしゃって、最期まで、みんなで「故郷」の歌を合唱する指揮をされたご
ようすを想い出します。
人間て、本当に一瞬一瞬にその人の生き方が現れるものですね。生涯にわたって、素
晴らしい見本を示し続けてくださった日野原重明先生に、心から「ありがとうござい
ました。本当にお疲れさまでした」と申し上げたい気持ちです。
posted by りえこ at 09:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記